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「地域が、人が、主役に」

 

 「鹿県の景気なお後退」

 本紙上にて発表された日本銀行鹿児島支店の金融経済概況。景気後退、失業悪化、こういう言葉も最近見飽きてきた。 何やっているんだ。結局、小泉政権でも何も変わらないじゃないか。

 しかし、ふと気が付いた。 「変わらないのは自分達じゃないのか」。景気が悪いのは誰のせい。国のせい。政治家のせい。なんとかしてくださいよと。

 そう、何も変わっちゃいないのは、景気が悪いのを人のせいばかりにしている自分達の姿勢ではないのか。小泉首相に、国に、過度に期待していた自分達の姿勢に気が付いた。

 今、我々に求められているのは、国、小泉首相が何かしてくれるだろうという姿勢ではなく、国、社会に対して何ができるか、自分達でできることを積極的に探し、提案し、実行していく、そういった自立した姿勢なのではないだろうか。

 五月十三日朝刊「風向計・ルール総崩れのなかで」を読んだ。 「社会のルール」が総崩れした日本において、スポーツというものは楽しみながら自然とルールを学ぶことができる。スポーツに勝敗を越えた価値が強く求められる時代だと。

 そもそもルールとはなんなのだろう。

 私が主宰しているスポーツ団体は「スポーツとは楽しんでやるもの」という信念を持って活動している。しかしよく言うのは「楽しむことと、自分勝手にやることはぜんぜん違う。楽しんでやりたいのなら、ルールを守りなさい」。 スポーツの場だけでない。例えば、食事をおいしく気持ちよく食べたいという時には「テーブルマナー」というルールを守らなければならない。公園で遊びたいという時には、公園を使用する際のルールを守らなければならない。 みんなおいしいものを食べたいし、公園で思いっきり遊びたいし、大好きなスポーツをやりたい。でも、お互いが楽しく気持ちよくやっていくためには、ルールを守らなければならない。それが嫌ならおいしいものを食べることも、公園で遊ぶことも、スポーツをすることもできない。 これがルールというものだ。

 ところが「ルールを守る」=「つまらない」、「ルールを守らない」=「楽しい」。そういったごく安易な考え方だけで行動をしている場面が、この社会の中で数多く見受けられる。地域社会のルールが崩壊しているということ。 「地域社会」があり、その中で人は生かされている。「ルール」というものも人があってこそ初めて成り立つ。つまり全てのルールは地域社会の中にあるという大前提。 「地域社会」があり「人」があり「ルール」がある。 こういったルールの順序を自覚している人も少ないし、逆にこの順序を無視して作られているルールも多いのではないだろうか。

 ルールというものが存在する「意味」を「順序」を、もう一度、ルールを作る側、守る側も考え直していこう。(NPO法人SCC 太田敬介)