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2002/04/14(Sun)
<汗>
 我が高校時代の野球部の恩師・筒井先生が今年で定年を迎えられたので、きのうはその送別会でした。
 先生が鶴丸におられた間の教え子たちが集ってささやか宴を催しました。本当に厳しい先生だったけど、これだけ多くの人が集ってくるのも先生の人徳なんだと思います。その流れできのうは4次会までいって久々に飲みました。で、どういう訳か、けさは無性に高校のグラウンドに行きたい気持ちに駆られて本当に久しぶりに、ユニホームを来て母校に足を踏み入れました。
 8カ月以上、まったく運動らしい運動はしていなかったので、なさけないくらいからだのキレはボロボロ。打撃投手をやっても、ろくにストライクは入らないは、一人投げれば肩で息するは、でさんざんな出来でしたが、本当に久しぶりに気持ちのいい汗をかきました。
 自分らしさはまだ完全には戻っていません。でもこの暖かい春がすべての嫌なことを忘れさせてくれるような気がします。さあ出口はもうすぐだ!



2002/04/11(Thu)
<豪快の影のち密さ>
 鹿児島実VS鹿児島南の決勝戦は、鹿実の一方的な試合で地力の差をまざまざとみせつけた一戦でした。
 試合の途中で、鹿実ベンチがある三塁側の通路で観戦していて気がついたことがありました。
 通路の下がやたらと泥で汚れています。気をつけて見ていると、泥だらけで戻ってきた選手たちが、コンクリートの上でスパイクを盛んに叩きつけて泥を落としているのです。つまり、ぬかるんだグラウンドで足をとられないように細心の準備を怠っていないのです。ほかにも、控えの選手が懸命に手袋やバットについた汚れを丁寧に落として、選手に手渡しているのが印象的でした。
 きょうの13得点の猛攻だけをみると豪快な印象が強い鹿実野球ですが、6犠打と送るべきところはきっちり送っているし、エンドラン、盗塁と変幻自在の攻めを展開します。その裏にはスパイクの泥にまで気を使うち密さがある。公立校がこれに勝つためには並大抵のことではないなと思い知らされました。
 



2002/04/10(Wed)
<ザ・ハイスクールベースボール>
 ここ数日は、サッカーに野球に大車輪で仕事をしているので、日記の更新も滞っていました。

 それにしても鹿児島南の快進撃はすごい!! あの第1シード川内を相手に九回裏二死満塁から走者一掃の逆転三塁打でサヨナラ勝ちです。これぞ、高校野球の醍醐味ともいうべき試合でした。
 鹿南といえば、去年の三月に、部員の暴力事件が発覚して春の大会を出場辞退したチームです。それが1年経った今は、初めての決勝進出、九州大会出場を決めたわけですから、まさにサクセスストリーでしょう。取りたてて何かが際立っていいと感じさせるチームではないけど、まとまりと勢いの良さが見ていて分るチームです。
 どうもここ3年、春の大会はミラクルを起こしてくれるチームが出ています。一昨年は甲南、去年は我が母校・鶴丸、そして今年の鹿児島南。不思議なことにこの3チームすべて僕は早い段階から原稿にして書いたチームです。
 ちょっとばかし得意げになる反面、悲しいかな甲南も鶴丸も夏は不本意な結果に終っている。野球を見る目について考えさせられる鹿南の快進撃でした。



2002/04/05(Fri)
<ラッキーデイ>
 たまにはこんないい日もあるかな。
 今朝一番で市民球場にいくと枕崎は0−4のビハインド。何でも初回に満塁ホームランを食らったらしい。でも僕が来てからは1点も取られず、逆に1点ずつ粘り強く返していって八回で試合をひっくり返す、見事な逆転劇でした。監督は変わりましたが、枕崎らしい堅い守りからの粘り強さはチームに引き継がれているようです。
 余勢をかって県立球場に行くと、今度は鶴丸が指宿相手に1−0とリードしていました。僕が見始めてから一気に大量点を挙げ、最後は菊永が2試合連続ホームランを放ってコールド勝ちでした。
 自分が応援しているチームが見事に勝ち進んでいる姿は気持ちがいいです。鶴丸は準々決勝で川内と、枕崎は4回戦で鹿児島実と次対戦します。どっちも強敵ですが持ち味を存分に発揮して勝ち進んで欲しいものです。
 鶴丸のマネージャーに「きょう僕が応援に来るとチームに点が入るんだよね」と冗談こくと、苦笑いされてしまいました(笑)。



2002/04/04(Thu)
<都城へ>
 きのう、きょうと2日間、日帰り出張で都城まで行ってきました。
 4月下旬にある本紙主催の高校サッカーフェスティバルの出場チーム紹介の取材です。3―5日と都城で高校サッカーのフェスティバルがあり、うちの大会にも出場する鹿児島、宮崎の学校が何チームか出場しているので、そのチーム写真と監督さんや選手に話を聞きに2日がかりで都城まで行ってきました。
 何分、今はこれまでいっしょに仕事をしてきた記者が辞めて僕一人でスポーツの取材をやっているので、大変です。春の高校野球も真っ盛り。あしたは鶴丸と枕崎が試合に出るので、きのう、きょうと頑張ってサッカーの仕事に没頭していました。



2002/04/02(Tue)
<桜>
 昼食を取ったあと甲突川の川辺を散策しました。
 雲ひとつない青空、そして満開の桜、ポカポカ陽気に誘われて昼寝しながらお花見している光景は何とも微笑ましいです。
 ついこのあいだまで裸の姿をさらしていた木々が、徐々に色づいて一面桃色に染まるのは自然の神秘としかいいようがありません。
 あしたは都城までサッカー取材に行ってきます。



2002/04/01(Mon)
<始動>
 いつかは更新しなきゃと思いながら、長らく開かなかったページをやっと開いてみる気になりました。
 きょうは4月1日。2002年度の本格的なスタートです。
 世間ではペイオフの解禁、みずほ銀行のスタートと、金融業界も自己責任で選ぶ時代になるとか。学校は完全週休2日制になり、教育環境も大きく変わる時代になりそう。さて新聞記者5年目を迎えたわたくし、政純一郎はどうでしょう?

 相変わらず今の会社でスポーツ記者をやっています。十年一日のごとく、きょうも鴨池球場に足を運んで高校野球を見ていました。

 昨年夏から続いているうつ病とは今も付き合っています。いい加減別れたいんですけど、なかなか別れてくれません。いやはやどうしたものか…

 うちの会社にも新人が6人入ってきました。うち2人はスポーツ担当になります。給料が安い会社ですが、仕事のやりがいを感じてもらえるような手本にならなくちゃっと肩に力が入っています。
 さきのことは本当に何も見えません。また夏がきて思考回路がおかしくなりはしないか、今でも完全に修復されていない自分が果たして後進を導くことができるのか、少々心もとないながらもなんとか日々をこなして生きています。この日記もできるだけ続けていこうと思います。せっかく今の自分を記録する場所があるのですから…

 きょうのダイエーの先発は鹿児島実出身の杉内君でした。思い起こせば4年前、僕が初めてこの仕事をしたとき最初に甲子園で取材した投手でした。残念ながらあの八戸工大戦のノーヒットノーランはライブで見ることはできませんでしたが、次の横浜戦で松坂と投げ合った試合は強烈に覚えています。あのときの高校生が今、プロのマウンドに立っている。感慨深いものがあります。彼は僕のことを覚えているでしょうか?

 以上、4月1日、きょう一日感じたことをつれづれなるままに連ねてみました。



2002/01/02(Wed)
<仕事始め>
 きょうから二〇〇二年の仕事始めでした。
 会社に行って、鹿実サッカーの初戦をテレビで見て、鹿児島県警が発表した昨年1年間の交通事故発生件数の統計を記事にまとめるという地味な仕事が今年初めて書いた記事でした。



2001/12/31(Mon)
<大晦日>
 きょうで二〇〇一年は終わります。 悔いの残る1年でした。