| 2003/03/09(Sun) |
| <城・弟に会う> ヴォルカ鹿児島の新入団セレクションの取材に行ってきました。 会場に車を止める場所がないわ、いざカメラを構えると望遠レンズが故障してまったく役に立たなくなるわで、朝からろくなことがありません。春の気配がひしひしと伝わる晴天とはうって変わってブルーな気持ちでしたが、新生ヴォルカの卵を見るべく気持ちを取り直しました。 セレクションには24人が参加。午前中はヴォルカのメンバーを交えて30分ゲーム、午後はセレクションメンバーVSヴォルカとのゲーム形式で選手の適性をチェックしました。新監督の前田さんをはじめ、新スタッフとして加わるメンバーが鋭い視線を送ります。前田さんらにとっては、新しい選手をセレクトするのと同時に、来月開幕する九州リーグに向けてヴォルカのチームの現状把握のため、情報収集の毎日です。「鹿児島の選手の質の高さを証明できてよかった」と前田さんは手ごたえを感じていた様子でした。 セレクションに参加したメンバーの中に、あの城彰二選手の弟・和憲君の姿を見かけました。 和憲君は鹿児島実高の出身で、02年の選手権で司令塔としてチームのベスト4入りに貢献した選手です。高校卒業後はオランダに短期留学し、今年から再び鹿児島に帰ってきたそうです。Jのチームからも打診はあったそうなのですが、入団にまではいたらず、個人でトレーニングを続けていました。今回、ヴォルカがJを目指して新体制で再スタートすることを受けて「自分も一からスタートするつもりで挑戦してみました」とか。 高校生の頃から顔見知りだったので、いろいろとオランダ時代のこととか聞いてみしました。「ハングリー精神が勉強になった」といいます。オランダでは1部リーグのヘーレンフェーンというチームで練習生として参加していました。チームには中学生でもプロとしてお金をもらいながらプレーしている選手もいるし、アフリカなど貧しい国から家族に仕送りするために生活をかけてやってくる選手もいるそうです。うまくなって試合に出ないかぎりは明日はないというような厳しい世界に身を投じてみて「まだまだ日本は甘い」と実感したそうです。余談ですが、米でもパンでもなく、じゃがいもが主食の食生活に慣れず、相当ストレスがたまったといいます。1年に満たない海外生活でしたが、受け答えもしっかりしていて随分大人になったような印象を受けました。 セレクションでは、FWとして出場した2試合目で2ゴールを決めるなど、しっかりアピールしていました。点取り屋の兄と違って、司令塔でありながら点も取れるトップ下が本来のポジションですが、こういうテストの場合は「FWの方がアピールできるポイントがしっかりしていていい」んだとか。その辺もちゃっかりしています。 選手の能力を見ぬく目は僕にはありませんが、素人考えで和憲君なら話題性もあるし、注目を集められそうな選手という点においても、大いに可能性ありかな、なんて思っています。 |
| 2003/03/08(Sat) |
| <ワクワクと緊張、そして脱力> きょうから高校野球は対外試合が解禁。高校野球にとっては正月のようなものです。 あさ南日本新聞にスポネット鹿児島の設立総会の記事が出ていました。「おたくの新聞はどうしたの?」と突っ込まれれば、「単純に見逃しただけです」と頭を下げるしかありません(それでいいのか!!)。情報収集は新聞記者の基本なのに…(反省)。 で、他紙の記事を参考にして感想をひとこと。「これで本当にいいのか?」と?印です。設立総会ではスポネットの中心になっていく理事らで今後の活動や予算などについて話し合ったそうです。一番びっくりしたのは正会員や個人賛助会員の会費がいくらと決めておきながら、「会員の特典については今後内容を詰める」となっています。「会員の特典」とはまさにこのNPOに賛同して欲しい鹿児島県民が何のためにお金を払うのかであるはずなのに、これが未定のまま会費の金額が決まっているなんて本末転倒じゃないでしょうか? 商品が何か分からないのに値段だけが決まっているなんておかしくないですか? さらには理事長のコメントに「Jリーグ昇格を目指すことについての報道が先行している」とありますが、そもそも「ヴォルカをどうするか?」で始まったNPOの立ち上げだと記者会見で明言していたはず。「ヴォルカ支援」以外の「鹿児島県のサッカー界全体をサポートしていく」(南日本)活動が見えてこない以上、それを示すのはスポネット側にあると僕は思います。「報道の先行」はよくあることですが、今回の件に関しては「報道」の側に責任転化するのはどうかと思います。 朝、鶴丸―出水商の練習試合を見にいきました。約3カ月間、野球の試合から遠ざかっていました。僕の仕事は「野球を見る目」が欠かせません。自分の感覚が鈍っていた部分を修正し、この冬で培った新たな感覚を確認しながら試合を見ていました。そういう意味で、きょう試合を見ながら自分なりにチームを見る基準みたいなものが見えてきていい情報収集になりました。 午後からは組み合わせ抽選会。何だか妙にはしゃいでいたのと同時に、非常に緊張しました。会社に帰ってどっと疲れが出てきて、なぜ抽選会で緊張したのか考えてみました。 自分の見る目と責任について、相当プレッシャーを自分でかけていたのだと思います。5年間、鹿児島の高校野球を見ていて、少なくとも報道記者の中では「見る目の確かさ」について自信を持っています。と、同時にいかにそれが当たらないものであるかも熟知しています。昨年の秋も自信を持って鹿城西を優勝候補の筆頭に挙げておきながら、結果的には鹿城西8強どまりでした。この春も僕なりの現段階での情報分析で鹿城西を優勝候補の筆頭に挙げるのは変わらないのですが、それでも何がゲームで起こるのか、それは誰にも分からないのです。それがすなわちスポーツのだいご味ではあるのですが、予想する側も無責任なことはいえないプレッシャーを自分に課しているつもりです。 野球について知れば知るほど、高校野球界に自分の存在が知られれば知られるほど、確信を持って伝えられることが少なくなるのに、確信を持って伝えなければいけない矛盾を背負いながら、自分の言葉や文章を選ばなければいけません。非常に難しい作業ですが、それができるようになることに僕がこれからやろうとする仕事がかかっていると思っています。 通常なら、きょうは組み合わせが決まったことだけしか載せないのですが、社内の諸事情を考慮してきょうの段階で展望まで載せてしまいました。かなり言葉を選びつつ、でも結構大胆に予想するという僕の苦心のあとを読み取っていただけると幸いです。 |
| 2003/03/07(Fri) |
| <初練習> 初めて本格的に短距離の練習を始めました。 感想=非常に疲れました。ミニハードルを使った基礎ドリルのあと流しを3本、フリーレッグといって片足けんけんの発展番みたいな練習、20Mごとに3段階に分かれてスピードアップ走といった練習を約1時間繰り返しました。 1時間ジョッグをするよりもはるかにしんどい練習でした。使っている筋肉が違うせいもあるでしょう。身近い距離を全力で何度も走ると一気に体の全精力を使い果たしたような感じがします。でもそれなりに刺激のある練習で楽しかったです。 練習のあとで太田さんからスタートダッシュのコツを教わりました。最初の位置はスタートラインから一足半。顔を上げないようになるたけ高く腰を上げ、両肩をリラックスさせながら、両手の先に体重をかけるような感じで構えます。スタートしてしばらくは頭を上げないようにして前傾姿勢を保ちます。とりあえずきょう聞いた話を取り急ぎまとめてみました。「なかなかいい感じですよ」とほめられてうれしかったです。まずは基本形を徹底して覚えたいと思います。 |
| 2003/03/06(Thu) |
| <雨模様> せっかくの休日だというのに雨とはねぇ。きょうは母校が公立高校入試の日だから県立球場を使って練習する予定が入っていました。前々からあの県立球場のグラウンドで思いきり汗をかいてみたいと思っていたのに、よりによって雨とは…。結局きょうは1日ボーっとしながらテレビやビデオを見て過ごしました。かえって調子狂いそう…。でもたまにはこんな日もいいか。 |
| 2003/03/05(Wed) |
| <7秒8> 当直明けで夕方まで熟睡。夕方からSCCの練習に行きました。 金曜日のダイアリーで書いたように、1カ月後の50Mダッシュ王座選手権に出場すべく短距離の練習をはじめてみました。練習といってもとりあえずは今の実力を把握しないことには練習の方向性も見出せないので、まずは50Mどのぐらいで走れるのか計ってみました。 SCCで練習をはじめたころ多少は短距離の練習もしましたが、ほとんど覚えていません。まずはまったくの自己流でどれだけ走れるのか、やってみました。短距離用のスパイクも持っていないし、スタートブロックを使って走るのも初めてです。 見よう見真似でまず一本。ブロックの感覚がつかめず、スタートダッシュで滑ってしまいましたが、何とか体を立てなおして全力ダッシュ。結果は7秒8でした。2本目はスタートはまずまずでいい感じで走れたのですが結果は同じ7秒8でした。3本走るつもりでしたが何となくお尻の後ろのあたりがピリピリきたので、無理せずやめときました。 当たり前ですが、今までマラソンで3時間とか4時間とか走っていたのに10秒にも満たない世界は本当にあっという間です。それにしても今までの僕が覚えている50Mの最高記録は中学の時に計った6秒7です。それからすると約1秒遅くなっています。とはいえ、当時より20キロ近く重くなっていること、昨年SCCで活動をはじめるまで本格的な運動から10年近く遠ざかっていたわけですから、むしろ1秒しか落ちていなかったというべきかもしれません。 とりあえず、あと1カ月で7秒フラットまで伸ばしたいと大胆目標を設定し、そうなるためにどうすればいいか、コーチに聞いてみました。太田さんは「8キロ減量しなさい」といいます。いくらなんでも1カ月で0・8秒縮めるというのは無謀なようです。取りあえずはスタートのコツとかをマスターし、全力疾走で走る練習をするようアドバイスしてもらいました。 章介ヘッドコーチによると、「運動していない人よりはよく走れている」とか。僕が去年久々に運動をはじめた頃は「この人は重力に逆らうつもりがないのではないか」と思われるほど、重たい走りをしていたのだそうですが、今の走りは非常に軽やかだったようです。 それはとりもなおさず、昨年6月以後、運動する習慣を再開し、10月からは種目が違うとはいえマラソンの練習で体を絞った成果です。章介コーチは「それが大事なんだ!」と力説します。世間では「1カ月でこんなに手軽にやせました」とかいった「いかに簡単にやせられるか」がもてはやされていますが、人体について詳しくなればなるほど、そういったことがいかに困難であるか思い知っているといいます。やせるにせよ、足を速くするにせよ、王道は効率のいいやり方で根気よく継続するしかないのです。そのことを強調してもらいたいと訴えていました。 僕の場合、走り方にとくにおかしなところはないので、とりあえずはスタートダッシュのコツをつかんで、あとはストレッチングを徹底して体を柔らかくすること、補強運動をやってより効率よく体を動かせるようにすることでしょう。何となく方向性はつかめたようです。 |
| 2003/03/04(Tue) |
| <イメージチェンジ> 掲載記事に、僕の投球フォームの連続写真をアップしました。 野球部3年生のお父さんが、練習中に僕が打撃投手で投げているのをデジカメで撮って編集してくださったものです。 それにしても、デジカメって便利ですねー。やり方は分かりませんが、パソコンのソフトを使えば、こんなことも簡単にできちゃんですね。こうやってみると自分のフォームの修正点が一目瞭然です。 具体的にいえば、トップの時にひじが下がっていること。始動するときに右手をいったん下げてから引き上げているのですが、肩に平行にならないうちにトップを作ってしまっていて、窮屈な姿勢で投げています。以前、ある高校生とキャッチボールをして「からだが大きいのにフォームが縮こまって見える」といわれたことがあるのはそのへんが原因かもしれません。これを矯正するには壁を背にくっつけて直接トップを作ることを体に覚え込ませることでしょう。ある学校の練習でフォームをビデオに撮ってもらったときに一番最初に言われた欠点がまだ残っていたようです。それでも、リリースからフィニッシュにかけてはわりと投手らしい投げ方ができているようなので、以前よりはだいぶいい感じになっています。本当にいいものを頂いて感謝感激です。 きょうは、今年初めて床屋に行きました。 僕の髪は非常に髪質が固いうえに、くせ毛なのでちょっとでも伸びると顔が1・5倍でかくなったように見えるので長く伸ばしたことがありません。坊主頭で5厘にしたことはあっても「ロン毛」ということが僕のテリトリーにありませんでした。 今回はちょっと伸ばしてみようかなと思って切らずにいたのですが、2カ月ほったらかしにしていると、帽子をかぶったときにへりからはみ出して何とも不恰好な感じです。きょう床屋で切ることにしたのですが、たまには何か違ったことをしてみたいなと思いました。とはいってもこの髪質では思いきり短くする程度のことしかできません。なら趣向を変えてちょっと染めてみるのも面白いかと思いつきました。 で、28年間の人生で切る以外の手入れをしたことがない僕の髪にちょっと色が加わりました。とはいっても派手に金髪にしたとかそういうのではなく、控えめに茶色を入れただけです。床屋さんからは「あんまり黒色が強すぎたから、ちょっとぐらい入れた方が優しい感じが出ているかも」と言われました。僕も何となくそんな気がしています。皮膚の色も黒いから丁度抑えられていいかもね。会社に行っても気づいた人がいないので(言ってもらえないだけかもしれないが…)それほど変わった感じではないのでしょう。たまにはこういうイメチェンも気分転換にいいかなと思っています。 |
| 2003/03/03(Mon) |
| <卒業式の思い出> きょうは県立高校の卒業式の日です。 僕が高校を卒業したのはちょうど10年前になります。中学の卒業式のときは校長先生から「いい若者になれよ」と声を掛けられて思わず泣いてしまったことや、いろんな人(特に女の子の)のメッセージカードに洒落たメッセージを書いたこと、卒業式のあと、夕方すぎまでみんなで校庭でサッカーをしていたことなどいろいろ覚えています。 でも、高校の卒業式はほとんど印象に残っていません。へそ曲がりなヤツが頭の後ろを「BE FREE」と剃っていて、卒業証書授与の時に目立っていたことぐらいでしょうか。きょうで卒業だというのに、非常に悔しい思いをしていたことを覚えています。 高校3年は野球も勉強も全くの不完全燃焼で、悔いの残ることばっかりでした。そんなことをクラス全員の前で挨拶するときしゃべったような気がします。案の定、翌日の国公立大学前期の合格発表も不合格でした。だから僕にとっての高校時代は、浪人の1年間も含めて4年間あったと思っています。 昼間、母校に野球の練習に行ったら、卒業式のあとで卒業生やその父母らがうろうろしていました。野球部でも3年生の卒業式があり、記念のTシャツや文集などを贈られていました。考えてみるとこの3年生とは入学した頃からの付き合いです。3年間の成長をすぐそばで見ていました。最後に後輩が絶叫しながら、3年生に向けてこの夏の甲子園を誓い、3年生の1人が「僕は鶴丸高校の野球部ですごすことができて幸せでした!!」と締めました。ふとノスタルジーに浸った時間でした。 |